九州のごみすてば

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JRの「乗車拒否」について、社会福祉の観点からお気持ち表明

伊是名氏が「乗車拒否された」という実体験を通して、障害者への合理的配慮に関する問題提起をしたことについて、いろいろと話題になっています。

今回は真面目なお話で、社会福祉を専攻している一学生としてお気持ち表明させてほしいです。

 

先に言うと、「なんで余計な反感・トラブルを起こしにいくんだろうな」というのが自分の感想です。

 

まず全国の小規模な駅ではなかなかバリアフリーに対応していません。すべての駅を対応させるっていうのも、現実的に考えて非常に厳しいです。ですから障害者の方とかは(それに限らず移動の難しい高齢者なども)事前に連絡をいれたりする手間をかけて鉄道を利用しなければなりません。

バリアフリー化は障害者の方々のためっていうのもそうなんですけど、将来自分らが、例えば「下半身不随になりました、車椅子必要です、急用で電車使わないといけません、予約必要です残念でした」となっては不便なんで、

いつか自分に返ってき得ることを考えると、「誰もがいつでも好きなように公共交通機関使えるようになるといいよね」ってことを社会福祉の世界では考えてたりします。

 

とはいえ、この現状を忽ちに変えることなんてもちろんできないです。2021年時点で急に車椅子で駅に来て、電車乗れないからすぐ手伝ってくれと言われても、どだい無理な話なんですよ。なぜなら車椅子のお客さんが急に来ることを事業者側は想定していないからです。

今回の件では駅員さん4人集めたんでしたっけ?  熱海もそんなに規模の大きい駅じゃないので、4人の駅員が急に業務中断して手伝いに当たるってかなりしんどいと思うんですよね。

そんで駅員を集めるのにも時間がかかるわけで、伊是名氏にとっても、予約1本入れることでかける必要のなかった余計な時間・余計なトラブルを、アポ無しで駅に来ることで無駄に労していることになってしまいます。誰も得しないんですよ。

で、こういうことになっちゃうので、現状として予約はした方がいいですよということになります。これはしょうがないです。

 

そこで、「こんな現状嫌だよね、じゃあ未来を変えましょう」っていう話になります。

伊是名氏は今回の問題に関する記事を読む限り、この経験をメディアにチクってアピールすることで、合理的配慮の問題にスポットライトを当てようとしてるんだと思います。

ちなみに合理的配慮っていうのは、要は障害者が非障害者と同じように社会参加できるように、個別に手助けしたり調整したりすることです。よくこんな画像で説明されたりします。

f:id:ArchivE_NcaxaR_9:20210408104644j:image

 

この合理的配慮の否定も障害者差別に当たるって定義されてるんですけど、今回の件のように事業者側の負担がめっちゃ重いケースも多いので、基本的に努力義務になってます。なので駅での車椅子利用者への対応は、将来的に実現されることが望ましいですけど、2021年時点では結構厳しいのが現状です。

 

で、伊是名氏が敢えてこういう行動に出た意図としては、

『今から50年前だと、バスにも電車にも何にも車イスの人が乗れない時代があって、こういうことが繰り返されてやっと乗れるようになってきました。』

という一文に示唆されてます。

伊是名氏本人は一般人ではなく、社会福祉の推進活動を行ってらっしゃる方のようなので、積極的に合理的配慮をしてもらうよう普段から生活してるんじゃないですかね?  「わがまま」とか「傲慢」とかよく言われてますが、多分活動家だからってことだと思います。

 

50年前云々ってのは本当です。「青い芝の会」とか「川崎バス闘争」でググってもらえればわかると思うんですが、青い芝の会っていう脳性麻痺の方々の団体があって、1976年に川崎で車椅子の方が、バスの構造的に危ないのでバスの乗車を断られたんですね。んで、その団体がそれに怒って、その翌年に集団でバスをボコボコにしたって事件があったんですよ。

 

で、なんでこんなことしたかっていうと、1970年代当時の社会って、今とは比べ物にならないくらい障害者の存在感が無かったんですよ。なぜなら、家にひきこもるしかないから。

前提として社会における自分達の認知がなければ、当然障害者福祉なんて発展しないわけで、「だったら俺たち目立とうぜ」ってことで過激なアピールをしたわけなんですよ。ざっくり言うと。別に反感買ってもそれで「認知される」って目的は達成されるんですよね。*1

 

ちなまに日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会行動網領にこういうことが書いてあります。

 『一、われらは、強烈な自己主張を行なう。』

 『一、われらは、問題解決の路を選ばない。』

詳細とか、これ以外の行動網領とかもあるのでちゃんと見てほしいんですが、結構過激な団体です。

 

ここからは持論になるんですけど、そしていま2021年です、障害者にもスポットライトが当たるようになってきました、ではそこで過激なアピールをする必要があるのか?  って言われると、無いんですよ。昔は存在すら知られてなかったので、まずは自分達の人間存在を知らしめるべく炎上商法をやってたわけなんですが、

「車椅子で来てもなかなか手伝ってくれないの問題だよね」っていうアピールは、単純に存在をアピールこととは事情が違うわけで、反感を買ってしまえば逆に合理的配慮の実現が遠のいていくと思うんですよね。

僕はもっと平和的にというか、人々の共感を得られるような形で問題の認知に努めていくことの方がよほど効果的だと思いますよ。

 

 

 

こっからは余談になるんですけど、ローカル線の駅の跨線橋っていらなくないすか?

ほとんどのケースで構内踏切で済むと思いますよ。心配なら遮断機つけりゃいいし。

よほど田舎の駅じゃないと構内踏切ってないんですけど、あれ障害者じゃなくてもめっちゃ便利ですよ。向こうのホーム行くのに階段上る必要ないですし。時間もかかりませんし。

それこそ山手線みたいにひっきりなしに電車が来る路線だったら、危ない以前に開かずの踏切になるんでアレですけど、ローカル線なら全然問題ないと思いますよ。

混雑する駅だと踏切がごった返して危険なので跨線橋必要ですけど、そういう駅ってたいていエレベーターあるので障害者でも問題なく使えます。

構内踏切だったら、道路の踏切と違って減速して駅に突っ込んでくるので、特急が通過するとかじゃない限り、万が一人がいても回避できる可能性は十分あると思うんですよね。どうなんでしょう。

 

*1:認知されることだけが青い芝の会の目的ではないです。